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内藤律子作品集

今年も、故郷北海道の浦河から、親子の馬のカレンダーを贈っていただきました。
贈ってくださったのは、写真家の内藤律子さん。
内藤さんは、一年を通して、北海道日高の子馬やサラブレッドたちの普段見る事の出来ない姿や、
北海道の四季折々の風景の中にたたずむ馬たちの姿を、日々写真家として
追いかけ、
懸命に作品作りに励んでいる写真家です。
彼女の作品には、いつも感動します。そして、あたたかな気持ちになります。
 



内藤律子さん、今年も素敵なカレンダーありがとうございます。
カレンダーに写る馬や風景を見て、我が故郷北海道浦河に、帰りたくなりました。

        田中光敏拝

【福井】美浜町インバウンドプロジェクト会議

先日、福井県美浜町に行って来ました。
今、美浜町の皆さんと一緒にインバウンド映像を作っています。
2年に渡るロケーションと編集、それがやっと完成に近づいて来ました。
今回の打ち合わせは、このインバウンド映像をいかに有効に活用して行くか?
どう、海外のお客様をおもてなしするのか?

美浜町が大好きな、そして色々活動している町民の方々20名近くの方々と、
意見を交わすことが出来ました。

11月11日には、美浜町なびあすホールでプロジェクトの映像の完成披露もあります。
詳細は、美浜町観光協会の公式サイトをクリック!

これから、ますます美浜町の皆さんと、意見を交わしながら、
美浜町のインバウンドや街づくりに参加させていただきたいと思っています。
よろしくお願いします。

田中光敏拝

おにぎりアクション2017とあわらおむすびプロジェクト

皆さん、こんにちは。
田中光敏事務所のwaniwaniです。
今日は、❤あったかい❤ご案内です。
監督は、越前あわら観光大使を拝命しております。
今、福井県あわら市では、「あわらむすび」プロジェクトと称して、NPO法人テーブル・フォー・ツーのおにぎりアクションに協賛しています。
簡単に言いますと、おにぎりの写真を公式サイトに投稿するか、自分のSNSにアップすると、アフリカ、アジアの子供達に給食が届くという仕組みです。
11月15日(水曜日)まで

まあ!素敵!❤参加したいと言う方へ
あわら市のおむすびプロジェクトの詳細はこちらをクリック。
http://www.city.awara.lg.jp/…/ind…/cityinfo0102/onigiri.html

写真をあわら市に送る場合は、こちらのアドレスに。
onigiri@city.awara.lg.jp

おにぎりアクション2017の詳細、直接の投稿はこちらに。
http://jp.tablefor2.org/campaign/onigiri/

#OnigiriAc
#あわら市
#あわらむすび
#映画監督

早稲田大学オープンカレッジ×和歌山県

先日、早稲田大学オープンカレッジで講義をして来ました。

和歌山県観光連盟が主催で、もちろん話は、日本とトルコの合作「海難1890」です。

この合作映画で学んだこと、実話だからこそ現場の人間が現場で感動した裏話を中心に、

お話をさせていただきました。

受講していただいた皆さん、ありがとうございました。

その会場で、久しぶりに懐かしい方にお会いました。

沼田準一さんです。

映画の後半、舞台は1985年イラン、イラク戦争。

イランのテヘラン空港で、日本人215人がとり残されました。

まさにその現場に居た方です。

日本からの救出の手立ても無く、沼田さんたちは、絶望のどん底だったと聞きました。

その時、トルコは日本人に向けて危険を犯してまでも救援機を飛ばしてくれたのです。

映画の中のセリフがあります。意訳してますが、

乗組員の命が危ないから、飛行機を飛ばさないのか?

テヘランにいる日本人の命が危ないから、危険を犯してでも救援機を飛ばすのか?

企画を作るとき、沼田さんや、トルコ航空のパイロットに取材をして、突き刺さった言葉です。

究極の選択なのかもしれないけれど、皆さんは、どう受け止めてくださったのでしょうか?

田中光敏拝

沼田準一さんに関する記事は、次のとおりです。
特定非営利活動法人「エルトゥールルが世界を救う」、沼田準一さん物語こちらをクリック

和歌山県観光連盟わかやま紀州館の皆様、大変お世話になりました。

奈良・薬師寺まほろば塾福井塾

9月23日、奈良薬師寺のまほろば塾に、縁あって、呼んでいただきました。

北海道生まれの僕は、中学生の時修学旅行で初めて京都、奈良に行き、

あまりの北海道の風景との違いに衝撃を受けました。

日本史の得意でない僕は、後に歴史の違いがその街の風景をつくり、変えて行くことを知りました。

その修学旅行で衝撃を受けた風景の中に、薬師寺がありました。

 

映画「火天の城」

デビュー作から3作目に作らせて頂いた作品は、信長の命によって「安土城」を建てた

宮大工岡部又右衛門を主人公にした、尊敬する作家山本兼一さんの作品です。

そして、山本兼一さんが本を書くにあたって取材を重ねたのが、薬師寺再建に大きく関わった

宮大工西岡常一棟梁でした。

火天の城の映画を作るにあたって、僕も又、薬師寺に行きました。

今回、まほろば塾に呼んでいただいた場所は、福井です。

福井は、僕にとって本当に縁がある街です。

大学時代、コマーシャルの演出をしていた時代、そして映画監督としての時代

さだまさしさん原作、映画「サクラサク」は、福井と僕とのご縁の賜物と思っています。

 縁というのは、巡り巡って行くものですね。

最近、つくづく思います。

こんな事考える様になったのは、年を重ねたせいでしょうか?

薬師寺の皆様、福井の皆様、ご縁をありがとうございます。

田中光敏

翌日9月24日の読売新聞の記事を紹介いたします。

YOMIUR ONLIN 薬師寺まほろば塾 「日本人のまごころ」説く こちらをクリック

管理人waniwani
 

ロンドンにて

大英博物館に行って来ました。

大英博物館には、かつて本当に大きな図書館があったようです。

その図書館に、毎日のように通っていたのが、マルクス。

同じ時期、薩摩の志士達もこの大英博物館に通っていたのでしょうか?

もしかすると、マルクスと薩摩の志士達は、同じテーブルで調べ物をしていたのではないでしょうか?


田中光敏

マンチェスターその3

薩摩の五代友厚は、大阪を東洋のマンチェスターにする!
と言ったとか。マンチェスターの街は、当時のままの美しい赤煉瓦の建物が残っていました。
運河から見る風景は、運河が利用され発展している大阪の街と重なって見えたのでしょうね。


田中光敏

マンチェスターその2

先ず、朝から来たのは薩摩の志士達が当時見て驚いた蒸気機関車。

当時の蒸気機関車より、少しだけ新しいものになりますが、大切に今もメンテナンスされて走っているのです。その姿はなかなか力強く美しい。

ちょっと、ハリーポッターの映画に出てくる列車に似ているなぁ〜と思いながら、

その頃の日本は、まだ、人力車や篭の時代。

サムライのカルチャーSHOCKは大きかったでしょうね。

まして、薩英戦争で、この国と戦うなんて。

相手のふところに入って、このイギリスを学ぼう。

そう思うのは、自然なことのように思いました。

始発と終着駅には、こんな風情のあるパブがありました。

次に向かったのが、マンチェスター空港近くにある、ナショナルトラストクォーリーバンク。

そこの中にある紡績工場。今も大切に管理されて、現役として動いています。

まさしく、この姿をサムライ達は、みたのでしょう。

女性も、男性も一緒になって工場で働き、近くの公園で男女一緒にランチを食べる。

先進的な紡績の機械だけでなく、工場の中にある空気感そのものが、

サムライ達の、目指す日本の姿だったのかなーと思いました。

ロンドンとマンチェスターは列車移動です。およそ、2時間10分。

田中光敏

 

 

マンチェスターへ

1番上の写真は、ロンドン大学の近くにある、当時文豪たちが通ったと言われているカフェ。
その近くの通りに面して、日本の当時の志士達が暮らしていた、アパートがあると聞いて行ってみました。
どんな生活をし、何を食べていたんでしょうか。ずいぶん素敵な住まいでした。

ロンドンは、街の中の至るところに花があります。
ちょっとしたことですが、気持ちが安らぎますね。


今朝はトラムに乗って、マンチェスターの北部ベリーに行きます。
五代友厚や薩摩の志士達が、まず衝撃を受けた蒸気機関車、その当時のものが動いていると聞いて、やって来ました。


田中光敏

 

ロンドン大学

薩摩の志士達十四人は、ロンドン大学で、学びました。


少しロンドン大学の中を、薩摩の志士達の気分で歩いてみました。

大学に入って行くと、こんなものを見つけました。
大学に関わった、様々な日本人を紹介しているパネルです。
その中に、十四人のこの大学で学んだ薩摩藩士の事も、取り上げられていました。



中に進むと、ジェレミーベンサム= ロンドン大学の創設者の像がありました。

功利主義を説いた人です。

功利主義

なかなか、僕には、馴染みのない言葉ですが、案内をしてくれた橋本先生曰く、

最大多数の最大幸福

となるようです。幕末の日本には、無かった考え方ですね。


大学の至るところで工事中のところが多く、日本の志士達の、記念碑があると聞いていたのでですが、工事現場の真っ只中にあると聞いて、半ば工事現場を諦めながら歩いていていました。
偶然にも、記念碑に遭遇しました。
日本から来てよかった!
やっと、やっと、薩摩藩士に会えた。


サムライ達を受け入れた。ロンドン大学には当時、人種や宗教や国を越えて、たくさんの若者達がいたんですね。薩摩の志士達にとって当時の日本を思うと、大きな刺激になったでしょうね。

僕を案内してくれている男性は、ロンドン大学の東洋アフリカ研究学院の博士課程の方です。


何故、ロンドン大学へ行ったのか?
当時の、イギリスのケンブリッジやオックスフォード大学は、エリートのキリスト教信者しか受け入れなかった。しかしロンドン大学は、非常に考え方がリベラルで、門戸を開いて、日本のサムライ達を受け入れた。
当時は、人種や宗教や国を越えて、たくさんの若者達がいたんですね。
薩摩の志士達にとって、当時の日本を思うと、大きな刺激になったでしょうね。

田中光敏